クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ3ヵ国周遊の旅も、いよいよ最終話です。第7話は、クロアチアの首都ザグレブの市内観光と、8日間の旅を終えて日本へ帰るまでをお届けします。
前回の第6話では、この旅でいちばん訪れたかったプリトヴィッツェ湖群国立公園を歩きました。念願の景色を見たあと、バスは北へ約2時間。最後の目的地、ザグレブへ向かいます。
石畳の首都ザグレブへ
ザグレブは、人口約77万人のクロアチア最大の都市です。アドリア海沿いの港町や、湖と森の国立公園を巡ってきた私たちにとって、内陸の首都は少し雰囲気が違って見えました。旧市街に入ると、足元は石畳。歴史のある建物の間を、ガイドさんについて歩いていきます。
ザグレブの旧市街は、もともと2つの町でした。大聖堂を中心とした教会の町「カプトル」と、商人や職人が暮らした町「グラデツ」です。2つの町は長いあいだ別々に治められていて、ひとつの「ザグレブ」になったのは1850年のこと。今回の市内観光は約1時間で、この2つの地区を歩いてまわりました。
この日のルートは、次のとおりです。
- 聖母被昇天大聖堂(中を見学)
- ドラツ市場
- 石の門
- 聖マルコ教会(外観)
- ロトルシュチャク塔(外観)
- ケーブルカーに乗車
- 共和国広場(バン・イェラチッチ広場)
聖母被昇天大聖堂 ― ステンドグラスが光る堂内へ
最初に訪れたのは、カプトル地区にある聖母被昇天大聖堂。ザグレブ大聖堂とも呼ばれる、クロアチアのカトリックの中心となる教会です。今の建物は、1880年の大地震で大きな被害を受けたあと、ネオゴシック様式で建て直されたもの。2本の高い尖塔は、ザグレブの町のどこからでも見えるシンボルになっています。
この場所に司教座が置かれたのは、11世紀の終わり、1094年ごろのこと。ザグレブという町の歴史は、この大聖堂とともに始まったと言われています。何度も戦乱や災害にあいながら、そのたびに建て直されてきた、まさに町の歩みを見守ってきた教会なのです。
大聖堂の前の広場には、金色の聖母マリア像が立つ高い柱があります。柱の足元には、同じく金色の天使たち。青空に金色がよく映えていました。

大聖堂の正面入口は、見上げるほど大きなアーチ。まわりには聖人たちの像がずらりと並び、上には丸いバラ窓があります。石の細かな彫刻は、近くで見るほどに見ごたえがありました。

中に入ると、堂内はひんやりと薄暗く、そのぶんステンドグラスの色が鮮やかに浮かび上がっていました。祭壇の近くには、花とろうそくに囲まれた銀色のお墓があります。これは、1998年に「福者」に列せられたアロイジエ・ステピナツ枢機卿のお墓。第二次世界大戦の前後、苦しい時代のクロアチアの教会を率いた人物で、今も多くの人がお祈りに訪れています。

ドラツ市場と、石の門
大聖堂から歩いてすぐのところにあるのが、ドラツ市場。1930年に開かれた、ザグレブの台所ともいえる中央市場です。赤いパラソルがずらりと並ぶ光景がトレードマークで、野菜や果物、花などが売られています。私たちが通ったときは、色とりどりの花の苗がたくさん並んでいて、とても華やかでした。

市場を抜けて坂を上ると、グラデツ地区の入口にあたる石の門(カメニタ・ヴラタ)に着きます。かつてグラデツを囲んでいた城壁の門のうち、今も残っているのはここだけです。
この門には、ひとつの言い伝えがあります。1731年、ザグレブを大火事が襲い、門も焼けてしまいました。ところが、門にかけられていた聖母マリアの絵だけは、焼けずに残っていたのだそうです。それ以来、この門は祈りの場所になり、今もろうそくを灯してお祈りする人の姿が見られます。
門のそばには、竜を退治する聖ゲオルギウスの騎馬像が立っています。台座の足元をよく見ると、倒された竜の姿が。ちょっと見つけにくいので、訪れた方はぜひ探してみてください。

おとぎ話のような聖マルコ教会
石の門をくぐってさらに進むと、この日のハイライト、聖マルコ教会が現れます。
白い壁に、カラフルなタイルの屋根。ひと目見て、おとぎ話に出てきそうな教会だな、と思いました。屋根には2つの紋章が描かれていて、左は「クロアチア・ダルマチア・スラヴォニア」の3つの地方を合わせた紋章、右はザグレブ市の紋章です。

かわいらしい見た目ですが、じつは13世紀から続く、ザグレブでもっとも古い建物のひとつ。教会が建つ聖マルコ広場には、クロアチアの国会や政府の建物も並んでいて、写真の右側に見えるEUの旗もそのひとつです。この旅の前年、2013年にクロアチアはEUに加盟したばかりでした。今回は外観だけの見学でしたが、青空の下で見る屋根の色は本当にきれいでした。
ロトルシュチャク塔と、世界一短いケーブルカー
聖マルコ教会からグラデツ地区の南の端へ歩くと、白くて四角いロトルシュチャク塔が見えてきます。1266年ごろ、町の南の門を守るために建てられた塔です。
名前の由来は、ラテン語で「泥棒の鐘」。1646年に、夜に町の門を閉める合図の鐘がこの塔につるされ、「鐘が鳴ったあとに外にいる者は、泥棒と思われても仕方がない」とされたことから来ているそうです。また、1877年からは、毎日正午になるとこの塔から大砲(グリチの大砲)が鳴らされています。私たちが訪れたのは午後だったので聞けませんでしたが、お昼に訪れる方はぜひ時間を合わせてみてください。

塔のすぐ横から、下の町へ下りるのがケーブルカー(ウスピニャチャ)。1890年に開業した、ザグレブで一番古い公共交通です。上から見下ろすと、オレンジ色の屋根の間に、青い車両が2台。線路の長さはわずか約66mで、「公共交通のケーブルカーとしては世界一短い」と言われています。開業した当時は蒸気の力で動いていて、電気で動くようになったのは1934年のこと。古い姿をよく残しているため、今では文化財として守られています。

私たちもこのケーブルカーに乗って、下の町へ。乗っている時間はたった1分ほどで、あっという間に到着です。下の駅から振り返ると、黄色い建物にはさまれた坂の上に、さっき乗った青い車両が小さく見えていました。

共和国広場で見かけたイベント
ケーブルカーを降りて少し歩くと、市内観光のゴール、共和国広場に着きます。ここは、正式にはバン・イェラチッチ広場という名前。1946年から1990年までは「共和国広場」と呼ばれていたため、日本のツアーの日程表では今もこの名前で書かれていることがあります。
広場の中心にあるのは、19世紀にクロアチアを治めたイェラチッチ総督の騎馬像。社会主義の時代に一度撤去されましたが、1990年に元の場所へ戻されました。広場のまわりには、黄色やクリーム色の美しい建物が並び、青いトラムが行き交っています。上の町と下の町をつなぐ場所にあり、地元の人にとっても「とりあえずここで待ち合わせ」という、ザグレブの中心のような広場です。
私たちが訪れたとき、広場には大きな白いテントが建っていて、何かイベントのようなものをやっていました。写真を見返すと、テントには「SAMSUNG zona 45」の文字と「09.-11.05.2014」の日付が。調べてみると、地域のファッション見本市だったようです。ちょうど私たちが訪れた5月9日から始まったイベントだったのですね。

この日のザグレブは、天気が良くて過ごしやすい一日でした。約1時間の短い観光でしたが、教会、市場、塔、ケーブルカーと、ザグレブらしい見どころをぎゅっと詰め込んで回ることができました。
これからザグレブを歩く方に、ひとつアドバイスを。旧市街は石畳の道と坂が多いので、歩きやすい靴がおすすめです。また、今回の私たちのように、上の町(グラデツ)を見てからケーブルカーで下の町へ下りるルートにすると、上り坂を歩く距離が少なくてすみます。ケーブルカーの乗り場は、ロトルシュチャク塔のすぐ横。見どころがコンパクトにまとまっているので、半日あれば主な場所は十分に回れると思います。
旅の最後の夕食
観光のあとは、ザグレブのホテル「LAGUNA」に泊まりました。この日の夕食は、ホテルのレストランでいただきました。メニューは、スープ、サラダ、豚肉のソテーとポテト、そしてデザートにチョコレートのケーキでした。




……と、写真はしっかり残っているのですが、正直に言うと、このときの夕食のことはあまり覚えていません。第6話ではお料理の写真を撮り忘れ、最終日は写真があるのに記憶がない(笑)。旅の終わりが近づいて、気持ちはもう帰国のほうへ向かっていたのかもしれません。それでも、こうして写真を見返すと、旅の最後の夜をちゃんと過ごしたんだな、と思い出させてくれます。写真を撮っておくことの大切さを、あらためて感じました。
グラーツ空港から、フランクフルト経由で羽田へ
7日目の朝、9時にホテルを出発。バスでスロベニアを通り抜け、オーストリアのグラーツ空港へ向かいます。行きと同じく、帰りもクロアチアの空港ではなく、オーストリアの空港を使うルートでした。
当時のクロアチアは、まだシェンゲン協定に入っていませんでした。ただ、私の記憶では、スロベニアとの国境で審査を受けた覚えはありません。添乗員さんがまとめて手続きをしてくれたのか、バスに乗ったまま通過できたのか……印象に残らないほどスムーズだったようです。なお、クロアチアは2023年からシェンゲン協定に加わったので、今はこの国境での審査はなくなっています。
グラーツからはルフトハンザ航空(LH1263)でフランクフルトへ。フランクフルトで乗り継いで、LH0716で羽田へ向かいます。機内で一泊して、8日目の5月11日、12時15分に羽田空港に到着。ここでツアーは解散となりました。

当時は、乗り継ぎを含めた長い移動を「長いなあ」と感じていました。でも今は、日本とヨーロッパを結ぶ多くの便がロシアの上空を避けて飛んでいるため、飛行時間は当時よりも長くなっています。今あらためて振り返ると、あの頃は恵まれていたんだな、と感じます。
8日間の旅を振り返って
スロベニアのブレッド湖から始まり、ポストイナ鍾乳洞、アドリア海の街オパティア、世界遺産の街シベニクとトロギール、スプリット、ボスニアヘルツェゴビナのモスタル、アドリア海の真珠ドブロヴニク、プリトヴィッツェ湖群国立公園、そして首都ザグレブ。8日間で3つの国をぐるりと巡る旅でした。
この旅を振り返って、まず思うのは、天気に恵まれて、とても気持ちのいい旅だったということです。どの写真を見返しても、青い空が広がっています。湖も、海も、石畳の町も、青空の下で見られたことは、本当に幸運でした。
第1話でお話ししたように、この旅のきっかけは、テレビで見たプリトヴィッツェの映像でした。「いつかこの目で見たい」という気持ちから始まった旅は、第6話でその夢が叶い、そしてこの第7話で、無事に日本へ帰ってくるまでの物語になりました。
添乗員さんが同行するツアーだったので、国境を何度も越える移動も、乗り継ぎも、安心してお任せすることができました。「行ってみたいけれど、いくつもの国を自分で回るのは不安」という方にこそ、こうしたツアーはおすすめです。この旅のルートや費用、世界遺産については、シリーズのまとめ記事で一覧にしてお届けする予定です。
【最新情報】ザグレブ観光と帰国ルート
※以下は本記事執筆時点で調べた最新の情報です。私が訪れた2014年当時とは料金や状況が変わっています。おでかけ前に必ず公式サイト等でご確認ください。
- 通貨について:クロアチアは2023年1月1日にユーロを導入しました。私が訪れた2014年当時の通貨はクーナ(kn)でしたが、現在はユーロが使われています。
- 国境の審査:クロアチアは、ユーロ導入と同じ2023年1月1日にシェンゲン協定にも加盟しました。そのため、スロベニアなどシェンゲン協定の国との国境では、原則として審査がなくなっています。
- 聖母被昇天大聖堂:2020年3月の地震で大きな被害を受け、長いあいだ閉鎖されていましたが、約5年の修復を経て2025年のクリスマスに再開しました。ステピナツ枢機卿の聖遺物も、2025年12月に大聖堂へ戻されています。外側の修復工事は続いているため、尖塔に足場がかかっていることがあります。
- 聖マルコ教会:同じく2020年の地震で被害を受けましたが、約3年の修復を終えて、2023年12月に再開しました。
- ケーブルカー(ウスピニャチャ):1年以上の改修工事を終えて、2026年5月19日に運行を再開しました。料金は片道0.66ユーロ、運行時間は6:30〜22:00で、約10分おきに運行しています。
- グリチの大砲:ロトルシュチャク塔から、今も毎日正午に大砲が鳴らされています。
- 日本〜ヨーロッパの飛行時間:2022年以降、多くの便がロシア上空を避けたルートで運航しているため、2014年当時よりも飛行時間が長くなっています。
最後まで読んでくださった皆さんへ
全7話にわたるクロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナの旅に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。テレビで見た憧れの風景から始まったこの旅が、読んでくださった方の「いつか行ってみたい」の後押しになればうれしいです。
次回は、シリーズのまとめ記事です。8日間のルートや費用、訪れた世界遺産をひとつにまとめてお届けしますので、どうぞお楽しみに。
クロアチア・スロベニア・ボスニア3ヵ国周遊ツアー シリーズ一覧
2014年5月、阪急トラピックスで訪れたクロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ3ヵ国周遊の旅。全8回にわたってお届けします。
- 第1話|スロベニア・ブレッド湖と聖マリア教会
- 第2話|ポストイナ鍾乳洞とアドリア海の街オパティア
- 第3話|世界遺産の街シベニクとトロギール
- 第4話|スプリットとモスタル ― クロアチア&ボスニアの世界遺産
- 第5話|アドリア海の真珠・ドブロヴニク
- 第6話|念願のプリトヴィッツェ湖群国立公園
- 第7話|首都ザグレブと帰国の途(本記事)
- 【まとめ】クロアチア・スロベニア・ボスニア3ヵ国周遊ツアー8日間|ルート・費用・世界遺産6つの全記録(近日公開)


コメント