第2話では、ブダペストの世界遺産を巡った濃密な午前をお届けしました。第3話は、2017年5月27日(土)の午後。1日のうちにハンガリー・スロバキア・オーストリアの3カ国を移動するという、中欧4カ国周遊ツアーならではのダイナミックな展開です。
まずはブダペストを後にしてスロバキアの首都ブラチスラバへ。中世の面影を残す小さな旧市街を散策したあと、さらにオーストリアのウィーンへと国境を越えていきます。1日で3カ国という響きだけを聞くと慌ただしそうですが、実際は移動時間もツアーの魅力の一部。バスの車窓から中欧の田園風景を眺めながら、少しずつ変わっていく街並みを楽しむ、そんな午後の記録です。
ブダペストからブラチスラバへ|約203kmのバス移動
Domus Vinorumで満足のお昼を終えた私たちは、再びバスに乗り込み、次の目的地スロバキアの首都ブラチスラバへ向かいました。ブダペストからブラチスラバまでの距離は、およそ203キロ。日本で言えば東京から浜松くらいまでの道のりです。高速道路を使ってバスでおよそ3時間ほどの移動でした。
添乗員さんからブラチスラバの地図をいただく
バスが走り出してしばらくすると、添乗員さんが席を回って参加者一人ひとりにブラチスラバの旧市街地図を配ってくださいました。コンパクトで見やすい地図を眺めながら、これから訪れる観光スポットの由来や見どころについて、添乗員さんの解説を聞いていきます。
移動中にゆっくり事前のインプットができるので、実際に街を歩く前に頭の中で予習ができます。こうした事前情報があるかないかで、現地に立ったときの見え方がまるで違ってくるもの。添乗員付きツアーのありがたさを、こんなところでもしみじみと感じました。
気がつけばスロバキアへ|シェンゲン圏内の国境越え

ハンガリーとスロバキアは、どちらもシェンゲン協定加盟国。第1話でミュンヘン空港での入国審査についてお伝えしたように、シェンゲン圏内での国境越えには、パスポートチェックや入国審査はありません。バスは何の停止もなく国境を通過していきます。
正直に言うと、「あ、今スロバキアに入ったんだな」と実感する明確な瞬間はありませんでした。窓の外を眺めていると、いつのまにかブダペストの街並みは遠ざかり、緑豊かな田園風景が続いています。国境の看板を見た覚えもなければ、大きく風景が変わった記憶もなく、気がつけばスロバキア領内を走っていた――というのが正直な感覚でした。
これがヨーロッパの「国境のない旅」なのだなと、改めて実感します。同じくシェンゲン圏内で移動する、この後のオーストリア入りも同じような感覚になるのだろうなと予想しながら、バスはブラチスラバへと近づいていきました。
スロバキアの首都ブラチスラバへ到着
3時間ほどのバス旅を経て、バスはスロバキアの首都ブラチスラバ(Bratislava)に到着しました。ドナウ川のほとりに広がるこの街は、実はオーストリアのウィーンからわずか60キロほどしか離れていない、ヨーロッパの首都同士としては世界でも珍しい至近距離に位置する街です。
1993年に生まれた「若い首都」
スロバキアという国は、1993年にチェコスロバキアが平和的に分離して独立したことで生まれた、比較的「若い」国です。ブラチスラバもその際に首都となり、独立国家の中心都市としての新しい歴史を歩み始めました。それ以前は、ハプスブルク家のハンガリー王国の首都として機能していた時代もあり、実は歴史的にはとても古くから重要な街でもあります。
人口は40万人ほど。ブダペスト(約170万人)やウィーン(約190万人)と比べると、こぢんまりとした街並みです。首都としてはコンパクトな街で、旧市街の中心部だけなら徒歩で十分に回れる、そのコンパクトさが魅力です。
「ちょっと立ち寄る」だけでも価値のある街
今回のツアーでは、ブラチスラバでの滞在は約1時間30分の散策のみ。宿泊はなく、ウィーンへ向かう途中に立ち寄る形での訪問でした。「1時間半でスロバキアの首都を巡る?」と、最初は物足りない感じもしたのですが、実際に歩いてみると旧市街の見どころがぎゅっとまとまっていて、この時間でも十分に街の雰囲気を味わうことができました。
個人旅行だとブラチスラバを目的地に選ぶのはハードルが高い印象がありますが、周遊ツアーで自然に立ち寄れるのは本当にありがたい機会。「知らなかった街との出会い」も、ツアー旅行の醍醐味のひとつだと感じました。
バスを降りて、いよいよブラチスラバ旧市街の散策スタート。5月の午後の穏やかな日差しの中、コンパクトな中世の街並みへと歩を進めていきました。
フラヴネー広場|ブラチスラバ旧市街の中心
散策の起点となったのは、旧市街の中心にあるフラヴネー広場(Hlavné námestie/フラヴネー・ナームスチェ)。スロバキア語で「主要な広場」を意味する、まさに街の顔とも言うべき場所です。石畳が敷き詰められた広場を、パステルカラーの歴史的建造物がぐるりと取り囲む、絵本の一場面のような美しい空間でした。
パステルカラーの街並みに包まれて

広場に一歩足を踏み入れて、まず目を奪われるのはこの街並みの色彩です。淡いピンク、クリーム色、水色、黄色――中欧らしい優しい色調の建物が広場を囲むように並び、5月の午後の陽光を受けて柔らかく輝いていました。
ブダペストの重厚で壮麗な建築群を見てきた直後だったせいか、ブラチスラバの街並みはより親しみやすく、まるでおとぎ話に迷い込んだような感覚を与えてくれました。同じ中欧でも、街ごとに個性がまったく違うのだと、改めて感じた瞬間です。
旧市庁舎とローランの噴水
広場の一角に立つのが、時計塔を持つ旧市庁舎(Stará radnica)。14世紀に建てられ、その後何度も改修を重ねながらブラチスラバの行政の中心を担ってきた建物で、現在は市立博物館として使われています。時計塔の下には黄色のファサードが広がり、広場のシンボル的存在として堂々と佇んでいました。
そして広場の中央に鎮座しているのが、ローランの噴水(Maximilian Fountain/マクシミリアン噴水)。1572年、当時ハンガリー王でもあった神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の命によって造られた、ブラチスラバで最も古い噴水のひとつです。中央に立つ騎士像は「ローラン」と呼ばれ、街の守護者として長く親しまれてきました。
広場のベンチには、地元の人や観光客が思い思いに座って過ごしていて、のんびりとした空気が流れていました。「ヨーロッパの街の広場って、こういう時間の流れがあるんだよなぁ」――ふと足を止めて、しばしその空気に浸っていたい気持ちになる、そんな場所でした。
日本大使館も広場の一角に
そして意外な発見も。フラヴネー広場を取り囲む建物のひとつに、なんと在スロバキア日本大使館があるのです。添乗員さんに教えていただき、日章旗が掲げられているのを見つけたときは、思わず「あ、日本の大使館だ」と心の中でつぶやきました。
異国の街の中心にある広場で、日本の国旗を目にする瞬間はなんだか嬉しいものです。首都のど真ん中に大使館があるというのも、街のコンパクトさを物語っているようで、微笑ましく感じました。
ミハエル門|中世の城壁の名残
フラヴネー広場を後にして、旧市街の北側へと歩を進めていくと、細い石畳の道の先にそびえ立つ塔が見えてきました。ブラチスラバ旧市街のシンボルのひとつ、ミハエル門(Michalská brána/ミハルスカー・ブラーナ)です。
旧市街に唯一残る中世の城門
ブラチスラバは中世、街を囲む城壁と4つの城門で守られていました。しかしその後の街の発展とともに城壁は取り壊され、4つの門もほとんどが失われてしまいました。そんな中で、唯一今も残っているのがこのミハエル門なのです。
起源は14世紀。もともとはゴシック様式でしたが、その後の改修でバロック様式の要素が加えられ、現在の姿になったのは18世紀のこと。塔の頂上には大天使ミカエルの像が置かれていて、これが「ミハエル門」という名前の由来にもなっています。高さ約51メートルの塔は、旧市街のどこからでも見上げることができる、街のランドマーク的な存在でした。
門をくぐって歴史の中へ

門の下にたどり着くと、アーチ型のトンネル状になった通路が旧市街の内と外を隔てています。中世の頃、この門をくぐることは、ブラチスラバの街に入る特別な瞬間だったのだろうな――そんな想像が自然と湧いてきました。今も観光客がここを通り抜けるたびに、街の内と外を行き来する不思議な感覚を味わっているのだと思います。
門の周辺には可愛らしい土産物屋やカフェが並び、観光客で賑わっていました。塔の内部は現在「武器博物館」として公開されていて、頂上の展望台まで登ることもできるそうです。今回は外観のみの見学でしたが、時間があれば塔から街を見下ろしてみたかったなと、少し心残りでした。
細い石畳の路地から見上げるミハエル門は、写真映えする構図としても人気の高いスポット。青空を背景に立つ塔と、その下を歩く観光客たちの姿。中世の面影を今に伝える、ブラチスラバらしい光景でした。
チュミル像|ブラチスラバ名物の個性派彫像
ミハエル門をくぐって旧市街を歩いていると、道の途中で観光客が集まってしゃがみ込み、地面に向かってカメラを向けている一角に出会いました。何かと思って近づいてみると、そこにはブラチスラバで最も有名な彫像、チュミル(Čumil)がいたのです。
マンホールから顔を出す不思議な男

チュミルは、道路のマンホールから上半身だけひょっこりと顔と腕を出している、ユニークすぎる彫像です。ヘルメットをかぶり、両腕で縁に肘をついて頬杖をつくような姿勢。にっこりと微笑みかけてくるような表情に、思わず頬が緩んでしまいます。
「チュミル」とは、スロバキア語で「のぞき見をする人」「じっと見つめる人」といった意味。設置されたのは1997年で、比較的新しい像ですが、その独特なユーモアがすっかり街の名物になり、今ではブラチスラバを訪れる観光客が必ず立ち寄る撮影スポットとなっています。
諸説あるユニークな設置理由
「なんでマンホールから顔を出しているの?」――誰もが最初に抱く疑問ですが、この像の設置理由については、実はいろいろな説があります。共産主義時代の労働者を風刺しているという説、下水道の作業員へのオマージュ説、あるいは単に街を歩く女性たちを下からのぞき見している「いたずら好きの男」説など。真相は諸説あるままで、それがまた「観光客の話のタネ」として愛される要因になっているのかもしれません。
街に散らばる個性派の彫像たち
実は、ブラチスラバの旧市街にはチュミルの他にもユニークな彫像がいくつか点在しています。ベンチに座ってシルクハットで挨拶する紳士「シェーン・ニミー」、ナポレオン軍の兵士がベンチの背もたれに寄りかかる像、カメラマンが角から顔を覗かせる像など、それぞれに個性豊かなキャラクターたち。
今回のツアーでは限られた時間の中を歩いたので、すべての像を見て回ることはできませんでしたが、街を歩くだけでこうした遊び心のあるオブジェに出会えるのは、ブラチスラバならではの楽しみ方。首都というと格式ばったイメージがありがちですが、この街には親しみやすい人間味と、ユーモアを大切にする文化が息づいているように感じました。
次の目的地に進む前に、私もカメラを向けてチュミルとの一枚を撮らせてもらいました。旅の思い出として、ちょっと変わったスナップになる、可愛らしい出会いでした。
聖マルティン大聖堂|歴代ハンガリー王の戴冠の地(外観)
チュミル像に手を振って別れを告げ、旧市街をさらに歩いていくと、細い路地の先に大きな尖塔が見えてきました。ブラチスラバで最も重要な教会、聖マルティン大聖堂(Katedrála sv. Martina/カテドラーラ・スヴァテーホ・マルチナ)です。
ハプスブルク家の戴冠式が行われた聖堂
聖マルティン大聖堂は、14世紀から16世紀にかけて建てられたゴシック様式の大聖堂。街の南西の一角、ドナウ川にほど近い場所に堂々と佇んでいます。特徴的なのは、塔の頂上に金色に輝く王冠が飾られていること。青空に映える金の王冠は、この大聖堂の格式の高さを象徴しているようでした。
この教会が特別な意味を持つのは、その歴史にあります。オスマン帝国の侵攻でブダが陥落していた1563年から1830年にかけての約270年間、ハンガリー王国の首都はブラチスラバ(当時の名はプレスブルク)に移されていました。そしてハンガリー王の戴冠式もこの聖マルティン大聖堂で執り行われるようになったのです。
この期間に戴冠したハンガリー王・王妃は、実に11人の王と8人の王妃にのぼります。中でも、今回のツアーのテーマであるマリア・テレジアも、1741年にここでハンガリー女王として戴冠式を挙げました。マリア・テレジア生誕300周年の年に、彼女がハンガリー女王としての第一歩を踏み出した聖堂を訪ねられたのは、感慨深いタイミングでした。
塔の頂上の金の王冠

大聖堂の外観で一番目を引くのが、やはり塔の頂上に輝く金色の王冠です。これはハンガリー王の象徴である「聖イシュトヴァーンの王冠」を模したもの。実物大の複製とされ、重さは約300キロもあると言われています。
この王冠が塔の上に据えられたのは、まさに「ハンガリー王の戴冠式がここで行われた」ことを後世に伝えるための象徴。塔を見上げるだけで、この街と聖堂が背負ってきた歴史の重みが伝わってきます。第2話で訪れた英雄広場や聖イシュトヴァーン大聖堂の記憶とも自然につながり、ハンガリーの歴史がひとつの物語のように頭の中で結ばれていきました。
今回は外観のみの見学
時間の関係で、聖マルティン大聖堂の内部見学はありませんでした。内部には歴代の戴冠式に使われた祭壇や、聖マルティンの騎馬像などがあるとのことで、内部まで見られていたらもっと感動が深まっただろうな、と少し名残惜しく感じます。
それでも、青空の下で見上げた金の王冠を戴く尖塔は、ブラチスラバ観光の忘れがたい風景のひとつになりました。ブラチスラバ散策も、いよいよ大詰めです。
ブラチスラバ城の丘から絶景を眺め、オーストリアへ
丘の上にそびえる白亜の城

聖マルティン大聖堂を後にして視線を上げると、旧市街を見下ろす小高い丘の上に、白い城壁と4つの角塔を持つ堂々たる城が見えました。ブラチスラバのもうひとつのシンボル、ブラチスラバ城(Bratislavský hrad/ブラチスラフスキー・フラト)です。
四角い建物の四隅に4つの塔が立つ、実にシンプルで独特のシルエット。その姿から「逆さテーブル」の愛称で親しまれているのだとか。言われてみれば、確かに脚を上に向けたテーブルのような姿にも見えて、思わずクスッと笑ってしまう可愛らしい愛称です。
ブラチスラバ城は9世紀頃から重要な拠点があったとされる、歴史ある場所。現在の姿の原型は15世紀に整えられ、その後何度も改修を経て今に至ります。ハプスブルク時代には、マリア・テレジアがハンガリー女王として滞在した宮殿としても使われ、その時代に華やかな装飾が施されました。20世紀に一度火事で焼失した後、現在の姿に再建されたのは1950年代のこと。
丘の上から眺める、ブラチスラバの絶景

散策の締めくくりに、私たちは丘の上のブラチスラバ城まで足を延ばしました。内部の見学はありませんでしたが、城の敷地から眺めるブラチスラバ市街の景色は、まさにこの日一番のご褒美と言える光景でした。
眼下には、たった今歩いてきたばかりの旧市街の赤い屋根の家並みが広がり、聖マルティン大聖堂の尖塔もその中に見えます。反対側にはドナウ川がゆったりと流れ、対岸には近代的な街並みが広がっていました。5月の青空と、澄み切った空気の中で見渡すブラチスラバの街は、想像していた以上に美しく、しばらく足を止めてその眺めに見入ってしまいました。
1時間30分の散策時間はあっという間。フラヴネー広場、ミハエル門、チュミル像、聖マルティン大聖堂、そしてブラチスラバ城からの絶景――中欧の小さな首都の魅力が凝縮された、密度の濃い午後のひとときでした。「短い時間だったけれど、ブラチスラバに来てよかったな」――バスへと戻る道すがら、自然とそんな気持ちが湧いてきます。
またもや、いつのまにかオーストリアへ
再びバスに乗り込み、次の目的地は今夜の宿泊地オーストリアの首都ウィーン。ブラチスラバからウィーンまでの距離は、およそ77キロ。ブダペスト-ブラチスラバ間(203km)と比べると、ぐっと短い移動時間です。
そしてまた、シェンゲン圏内の国境越え。ハンガリー→スロバキアのときと同じく、車内でパスポートを準備することもなく、バスは何の停止もなく国境を通過していきます。ドナウ川沿いの道路をひた走り、車窓の風景を眺めているうちに、いつのまにかオーストリア領内に入り、ウィーン近郊へと近づいていました。1日で3カ国を巡る中欧周遊ツアーならではの、不思議で贅沢な感覚です。
ウィーン到着
ブラチスラバから約1時間ほど。バスは今夜の宿泊地、オーストリアの首都ウィーン(Wien)へと到着しました。第2話・第3話とハンガリー、スロバキアと巡ってきた旅は、ついに3カ国目・オーストリアの舞台へと進みます。
音楽と芸術の都、ウィーンへ
ウィーンといえば、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シュトラウス――歴史に名を残す音楽家たちが活躍した「音楽の都」。そして、ハプスブルク家の宮廷が置かれた「芸術と歴史の都」でもあります。今回のツアーのメインテーマ、マリア・テレジア生誕300周年ゆかりの街としても、シリーズ全体でも特に楽しみにしていた目的地です。
バスの窓から見えるウィーンの街並みは、これまでのブダペストやブラチスラバとはまた違う、重厚で洗練された雰囲気。整然と並ぶ石造りの建物、幅の広い道路、そこを走るトラム(路面電車)――「あぁ、これがウィーンなんだな」と、街の空気そのものから伝わってくるものがありました。
今夜と明日、2泊お世話になるのはウィーン市内のARION CITYHOTEL VIENNA(アリオン シティホテル ウィーン)。ウィーン中心部からほど近い立地にあるシティホテルで、観光の拠点にはぴったりのお宿です。
そしてバスが向かった先は、宿泊予定のホテルではなく――なんと、いきなり夕食の会場でした。3カ国目に踏み込んだ最初の食事は、ウィーンならではの豪華なレストランでいただくことになったのです。
Wiener Rathauskellerで豪華な夕食
この日の夕食会場は、ウィーンを代表する歴史あるレストランWiener Rathauskeller(ヴィーナー・ラートハウスケラー)。ウィーンの美しいネオゴシック様式の市庁舎、その地下にあるレストランです。「Rathauskeller」とは、ドイツ語で「市庁舎の地下」を意味する言葉。名前の通り、ウィーン市庁舎の地下の空間そのものが、そのまま食事の場所になっているという、なんとも贅沢なお店です。
市庁舎の地下に広がる、格式高い空間

お店の中に足を踏み入れると、思わず息を呑む美しさでした。アーチ状の高い天井には、緻密な装飾やフレスコ画のような絵柄が描かれ、シャンデリアの光が優しく照らし出しています。壁は木の温もりを感じるパネル張り、白いクロスがかかった格式高いテーブル。「ここは本当に地下?」と思ってしまうほど、天井が高く広々とした、荘厳な雰囲気の空間でした。
Wiener Rathauskellerの歴史は古く、19世紀末に市庁舎が建てられたときから、そのまま長く続く伝統あるレストラン。ウィーン市民にとっても観光客にとっても、特別な日の食事に選ばれる格式高いお店だそうです。「中欧4カ国ツアーの、たった1回の夕食の会場としてここが用意されているなんて」――ツアーの豪華さに、あらためて感動が込み上げてきました。
クリームスープと魚のメイン

提供された料理は、まず最初にスープ、そしてメインの魚料理という2皿構成。ヨーロッパのフルコースらしい流れで、格式ある空間にぴったりの内容でした。
まずはスープ。取っ手のついた白いカップに注がれた、淡いクリーム色の濃厚なポタージュです。添えられているのは、香ばしい黒パンとふんわりとした白パンの2種類。それぞれ食感も味わいも違っていて、スープに浸したりそのままかじったりと、パン選びも楽しめる嬉しい演出でした。

メインは、こんがりと焼き上げられた白身魚のフィレが2切れ、ハーブの香る白いソースを添えて。付け合わせは、ウィーン名物とも言えるポテトサラダ(Erdäpfelsalat/エルトエプフェルザラート)。角切りにしたじゃがいもを、ビネガーとハーブでさっぱりと和えた、日本のマヨネーズ味とはまったく違うウィーン風の一品です。優しい味わいの魚と、爽やかなポテトサラダの組み合わせは、長い1日の締めくくりにちょうどよい上品な美味しさでした。
お店の格式ある雰囲気に包まれながら、ゆっくりと食事を進めていくと、1日の疲れがすーっと引いていくのを感じました。同じテーブルの参加者の方々とも、その日の観光の感想を分かち合いながらの食事は、旅の思い出をさらに豊かにしてくれる時間。「今日はブダペスト、ブラチスラバ、そしてウィーン。本当に3カ国も巡ったんだね」と、あらためて実感が湧いてきました。
夕食のあとは、ようやくホテルへ
満ち足りた気分で食事を終えたあとは、いよいよホテルへ。バスに乗って、ARION CITYHOTEL VIENNAへと戻り、ここでようやくチェックインとなりました。長い1日の締めくくりに、お部屋のベッドが心地よく感じられます。
スーツケースを軽く整理し、翌日の身支度を済ませて就寝。1日で3カ国、しかも移動と観光を目一杯詰め込んだ長い1日でしたが、感動的な世界遺産巡りとブラチスラバ散策、そして豪華な夕食で、心も身体も満足感に包まれた1日でした。明日はいよいよ、シェーンブルン宮殿を含むウィーン観光がスタートします。
まとめ|1日で3カ国、密度の濃い午後を終えて
2017年5月27日(土)の午後を振り返ってみると、ブダペストを出発してブラチスラバの旧市街を散策し、さらにウィーンへと国境を越えていく、1日で3カ国を横断する密度の濃い時間でした。ヨーロッパの国境が思っていた以上に近く、そしてシェンゲン協定のおかげで移動もスムーズ。「1日3カ国」と聞くと慌ただしそうに感じますが、実際に体験してみると、それぞれの街に個性があって、意外なほど満ち足りた午後になりました。
ブラチスラバでは、フラヴネー広場のパステルカラーの街並み、中世の門ミハエル門、ユニークなチュミル像、歴代ハンガリー王が戴冠した聖マルティン大聖堂、そしてブラチスラバ城からの絶景と、コンパクトな首都の魅力を1時間30分でぎゅっと味わうことができました。ウィーンではWiener Rathauskellerで格式ある夕食をいただき、心身ともに満たされた1日の締めくくり。個人旅行では実現しづらい濃密なスケジュールを、添乗員さん付きのツアーだからこそ実現できたのだと、あらためて感じます。
翌日は、いよいよツアーの目玉、シェーンブルン宮殿を含むウィーン観光がスタート。次回の第4話「3日目|ウィーン歴史地区とシェーンブルン宮殿『ベルグルの間』特別入場」では、マリア・テレジアが夏の間に使用したという特別な部屋への入場や、ウィーン歴史地区の名所巡りをお届けします。ハプスブルク家の華麗な世界へ、ぜひご一緒に。
中欧4カ国周遊ツアー シリーズ全7話
本シリーズは、2017年5月にJTB旅物語で参加した「中欧4カ国周遊6日間」ツアーの記録です。準備編から最終話まで、ぜひ続けてお楽しみください。


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